teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助 youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


(無題)

 投稿者:ブラザー  投稿日:2013年 1月 4日(金)15時41分8秒
  KAという方のハンドルを使って、誹謗中傷を書き込んで申し訳ありません。

できれば、全て消していただければと思います。
 
 

大森で密会

 投稿者:KA  投稿日:2012年10月27日(土)20時42分5秒
  ぶるまん、N氏と、大森のホテルで、
密会を繰り返す。
 

ぶるまん不倫

 投稿者:KA  投稿日:2012年 8月21日(火)23時07分28秒
  ぶるまん曰く、N氏とは、
友達以上、恋人未満と豪語。
 

ショックです

 投稿者:KA  投稿日:2012年 7月19日(木)23時15分57秒
  ぶるまんさんが、不倫していたなんて~
子供が可哀そうです。
一体何を考えているのでしょうか?
 

不倫三昧

 投稿者:Bull Man  投稿日:2012年 4月22日(日)09時53分51秒
  No C ?  

みなさまありがとうございます

 投稿者:ひよこ  投稿日:2011年 3月14日(月)00時57分0秒
  みなさま、東北の地震では大変ご心配をおかけ
いたしました。

盛岡は被害がほとんどなく、無事にすごしております。
オーナーのみなさまには大変ご心配をおかけいたして
おりますが、ドレスたちもみんな無事ですのでご安心
くださいね。

ライフラインが止まって大変な思いをしておりましたが
今日の午前中から電気が復旧しました。
パソコンもさきほどから復旧です。
生活物資が足りず、スーパーもコンビニも長蛇の列で
ガソリン、灯油、食料すべてが貴重です。

宅配便もすべて緊急物資の輸送のため止まっている
状態なので、なにとぞ復旧までドレスの配送は
お待ちくださいませ。

ドレス代金精算のお振込みも、このような状態で遅れて
おりますが、明日中にはお振込みできるようにと思って
おります。

たくさんのメールやお電話での励ましのメッセージ
ありがとうございます。
心にしみます。

電気が通じなかったのでテレビもラジオもなかったのですが、
避難所のテレビの映像をみたら愕然といたしました。
夫の両親が住む陸前高田市は市役所も津波にのみこまれて
壊滅的被害で市の8割が跡形もなく壊滅しておりました。

いまだに電話も電気もガス水道も復旧のめどが立たない
状況のようです。
しかし、ミクシの災害コミュをつうじて両親と姉の無事を確認することが
できました。ほっとして涙がとまりませんでした。
いとこが規制前に実際に現地にはいり確認してきたそうでした。
今は、緊急物資の車のみ入れるので、一般車両は立ち入り
禁止になっています。

いまだに数分おきに余震があり、油断できないのですが、
完全復旧までがんばっていきます。

みなさま、よろしくお願いいたします。


 

(無題)

 投稿者:アイダ  投稿日:2011年 3月13日(日)19時39分8秒
  ご無事でなによりです。 地震の怖さや大変さは新潟での大きな地震で経験しており、心配していました。 大変でしょうが、お体に気をつけて頑張って下さい。  

無事でよかったです

 投稿者:mayumi  投稿日:2011年 3月13日(日)16時39分0秒
  よりこさん無事でよかったです。心配していました。地震起きた時は東京オープン前で東京にもう来られてたのかな? ご主人のご実家心配ですね。私も阪神大震災経験したから、ひとごととは思えないです。何もできないですけど、ご家族の無事をお祈りしています。  

無事です。

 投稿者:ひよこです  投稿日:2011年 3月12日(土)22時50分4秒
  ひよこです。無事です。
盛岡は停電中ですが、被害はほとんどないです。
ドレスもすべて無事です。
夫の実家地域が壊滅状態らしいです。連絡つきません。それが心配です!
 

闘病記の感想と私事

 投稿者:オカ リナメール  投稿日:2010年 9月 8日(水)03時00分24秒
  闘病記ひととうり、読みましたよ。とても克明に書かれていて、状況が手に取る様にわかりましたヨ。あたしの妻も29年前ですが、2年ほど入退院を繰り返し、同じような状境でしたので、理解できます。只あたしの場合は、子供(3歳と0歳)がいましたので、もう一つ大変でしたけど、(これは、経験してみないと解らないでしょうね)仕事も、それまでの外資系(スイスの建材メーカー)をやめ(名古屋の営業所長でした)9時から5時でOKの中小企業に変え(子供の保育園の引き取りが6時でしたので、それでも何時もお迎えは、6時半頃になってしまい、それぞれの園で、いつも先生と二人だけで待っていました)書いてて涙出てきちゃった。それから、妻の病院までの間に、車の中で二人に食事をさせ、9時の消灯まで病室にいて、家に帰り、途中眠ってしまったチビどもを起こして風呂に入れ、洗濯をして寝るのは1時過ぎ、5時に起きて、病院の味噌汁は口に合わないという彼女のために(けっしてわがままを言う妻では無かったけれど)赤出汁を造って、車では往復2時間掛かるので、オートバイで1時間で届け、6時にチビどもをたたき起こして、食事をさせ保育園へ送り届け、そのまま仕事に行く、と言う毎日を、ほぼ2年(彼女が天国に行くまで)つずけましたよ。あたしの妻も、よりこさんと同じで、痛みを感じにくい人間だったようで、気が付いたときは、完全に手遅れでした、それでも、度重なる手術や温熱療法に良く耐えてくれて、2年余り、子供の思い出作りのため頑張ってくれました。今は、その感受性の鈍さを(頭が悪いわけではなく)受け継いでしまった息子の健康が、あたしの最大の悩みでは有りますが。  

レンタル掲示板
/12