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嵐牛翁が57歳の時、安政の大地震が起きています。
所謂、黒船来航で世間が騒然としている時代でもありました。
当時の事はこのように伝えられています。
安政2年10月2日(西暦1855年11月11日)夜十時頃、八丈島付近を震源とする
M6.9の地震が発生。世界最大級の都市・江戸が大きく揺れました。地震自体
による被害はそう大きくなかったものと推定されますが、直後に多数の火災
が発生、大きな火事となって死者は4000人(1万人とも20万人と書いてある
本もあるがそれは恐らく誇大。振袖火事でも10万人です)に達しました。
この安政江戸地震を一般に「安政の大地震」と呼んでいますが、地震の規模
からいくと前年の3連地震の方が巨大でした。
安政元年11月4日 M8.4 震源=遠州灘沖(愛知・静岡の南)『安政東海大地震』
安政元年11月5日 M8.4 震源=潮岬沖 (和歌山・徳島の南)『安政南海大地震』
安政元年11月7日 M7.4 震源=豊予海峡(大分と愛媛の間)
恐ろしいことにわずか4日間のあいだに巨大地震が3つも起きました。近畿
地方では4日の地震の直後に5日の地震、四国地方では5日の地震の直後に
7日の地震が起きていて、いづれも両方の地震の被害が区別できないほどです。
この3つの地震の死者は合計で軽く1万人を越えているのではないかと思われ
ます。
改めて激動の時代を生きた人だと思います。
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