新着順:30/49 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

佐野乾山の発見

 投稿者:ケイさん  投稿日:2008年10月13日(月)00時13分2秒
  通報 編集済
  今更という気はしますが、佐野乾山の発見の発端は...
昭和35年ころ東京国立博物館陶磁室勤務の林屋晴三技官がたまたま旧知の美術商を訪れたところ、
「大変はものを見ました。実は今日港区内の知り合いの美術商を訪ねたところ乾山の焼き物をどさりと見せられたんです。」と言われた。
林屋氏は、「そんなバカなことが...」と一笑に付してみたものの、どこか気になりその美術商を訪ねてみたところ、そこにあったのは、まごうことない乾山の色絵陶磁器の群れであった。しかも陶器に書かれた和歌、俳句、所懐、記年によれば常識的にはあり得ざるいわゆる「佐野乾山」であった。林屋氏は一瞬、これは贋物かと思ったが主人が傍らの箱から「佐野手控帖」を出してきた。そこには作陶上の注意、絵付けの絵柄などが克明に描かれてあった。

折よく上京していた森川勇氏(森川如春庵勘一郎氏の御子息)に伝えると森川氏も苦笑して言った。「人をかつぐにもほどがある」だが、林屋氏に引っ張られるようにして件の美術商を訪れた森川氏は息をのんだ...。森川氏は長い間驚きをもって無言で現品を見ていた。やがて、息をつき、ただひとこと、「いくらだ」と言った、と言う。
家に帰り、父親である勘一郎氏(如春庵)にその話をした。父は彼の言葉をまったく信用しなかった。幼いころから、光悦の茶碗でお茶を仕込み、美術品の見方を教えて来たはずのわが子の言葉とは思えなかったのであろう。
そんなものに夢中になれるとは、お前はなんと馬鹿なのだ」と言ったそうである。
しかし、息子が持ってきた半ダースの矩形の深皿と茶碗一対を見ると、彼も驚き、それらが本物であることを信じたのであった。
その後、森川親子と林屋氏の三人は、しみつぶしに、佐野地方を探索する計画を立て、徹底的に調査し、蒐集したのが問題となった「佐野乾山」なのである。すなわち、二百点にも及ぶ「佐野乾山」は、2年以上に渡る徹底的な調査によってようやく蒐集したもので、一度に発見された訳でも何でもなかったのである。
 
》記事一覧表示

新着順:30/49 《前のページ | 次のページ》
/49