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続 松本清張氏「泥の中の佐野乾山」

 投稿者:ケイさん  投稿日:2008年10月19日(日)00時51分17秒
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  松本清張氏は、佐野乾山を巡る陶磁協会、文部省などに関する調査、考察にはさすがと思わせる冴えがありますが、手控帖、作品に対する考察に関しては「?」が付きます。
清張氏は、「佐野手控帖」の文字が、乾山の文字の基準となる小西家文書と違うので乾山の弟子が手控帖も陶器も作ったのだろうと判断しています。しかし、手控帖の文字に関しては、水尾比呂志氏(元武蔵野美術大学教授)が、以下のように述べています。

乾山の若いころの『過凹凸窠記』と小西家文書はまったく書体が違います。楷書と草書という違いはもちろんありますけど、ちょっと見たところでは、同一人物かどうか疑いたくなる。一人の人がこれだけ違う書体で書けるということを再認識しなくてはいけないと思うんです。」(目の眼 昭和60年6月号)

同じ議論は光悦の文字に関しても言えると思います。手紙の字と作品の書体はまったく違います。ですから、書体が違うから別人が書いた、弟子が書いたという短絡的な結論は説得力がありません。水尾氏はさらに言います。

われわれ美術史をやっている者はよく個人様式の比較をしてこれは誰それの作品であるとか言いますね。似てる似てないというのは一応は説得力があるんですけど、また危険でもあります。似ている場合には、むしろ危ないこともある。偽物を作る時に、似ていないものを作るわけはないですから。むしろ似ていなくても、気分が通じているというものの方が信用できるのですが、これは中々難しい。『過凹凸窠記』と小西彦右衛門宛の手紙を素人の方に見せたら、90%の人は違うと言うでしょう。しかし私はこれを眺めてますと、やっぱり同一人物の筆跡だという一脈通じるものを感じるんです。この手紙と手控を見比べてもやはり通じるものが感じられます。」(目の眼 昭和60年6月号)

清張氏の主張は、陶器自体の評価に関しては「今出来ではない」という以外ほとんど記載がありません。七世乾山であるバーナード・リーチが「一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です。」と言った森川氏所蔵の佐野乾山を弟子の作と言うのであれば、その弟子の作よりも劣る世上真正と言われる乾山は誰が作ったと言うのでしょうか?(笑)

しかも、この佐野手控帖は、発見時は「戦後最大の資料発見」と言われていました。
琳派の研究では第一人者の東大美術史の山根有三氏は森川氏の手控え帖を「乾山の自筆と認める」とコメントしていましたし、中世日本文学の研究者で井原西鶴の第一人者である、野間光辰氏も非常に貴重な資料である、とコメントしていました。
 
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