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佐野乾山の絵付け

 投稿者:ケイさん  投稿日:2008年10月25日(土)13時55分55秒
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  佐野乾山の真贋が問題になった時、贋作派の一番の主張は「これまでの乾山の絵と違う」というものでした。確かに鳴滝時代の絵と比べると雰囲気は違います。しかし、よく考えてみると、鳴滝時代の乾山作品は光琳による絵付けの物がほとんどです。乾山が佐野に行った時には、光琳は亡くなっていますので光琳の絵付けである訳はなく、「これまでの乾山の絵と違って当然」なわけです。

じゃあ鳴滝時代の乾山の絵付けと佐野乾山の絵付けの比較ではどうなんだ?という素朴な疑問が出てきますが、現在乾山研究の第一人者である竹内順一氏によると、『絵付けの中に乾山の手になる「絵」があるか否かは乾山焼研究の大きな追究目標であるが、伝世品のなかには確定できるものはない。』とのことです。

つまり、一般に言われている「これまでの乾山の絵と違う」という批判はまったく意味がないということになります。
一般の人は、佐野乾山が本物か贋物かなど自分には関係ないので、雑誌や新聞に書かれていることを疑ったりそれほど深く考えたりしませんので、「これまでの乾山の絵と違う」と書かれていれば、「へえ~、そうなんだ...」ということになります。

さらに言えば、鳴滝の窯を廃したのは乾山が50歳の時で、佐野乾山の時代から25年も前の事です。陶器職人であれば、同じものを何十年も作り続けるでしょうが、芸術家である乾山が25年も同じ画風で描いた訳がない、と考えるのが通常の考え方だと思います。画家でも最盛期の絵と晩年の絵が違うのは常識と言ってもよいと思います。ですので、安易に佐野乾山の絵が違うと言うのは、ピカソの「青の時代」しか知らない人が、晩年の絵を見て贋作だというのと同じように馬鹿げたことだと思います。
 
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